花札の梅の木の鳥はどう見てもメジロ」という人へのツッコミ

花札の「梅に鶯」の絵柄に対して「どう見てもメジロ」などという表現を用いる人々がいます。難癖を付けるに当たって大げさに言うほど効果があるというつもりでしょう。こういう人は語るに当たって尾びれ背びれの多い、話半分の人でしょうか。もし、花札の鳥が本当にメジロに見えてしまうなら、眼か脳を調べてもらった方がいいですよ。

ものの名前にはいわゆる語源がはっきりしているものがあります。生き物の場合その身体的特徴が名前の由来となることがしばしばあります。ハリセンボン、シマウマ、ハグロトンボなど。メジロもそのような身体的特徴に由来しています。こういう名前の生き物はその特徴を省くわけには行きません。
針のないハリセンボン、縞のないシマウマ、羽が白いハグロトンボ、これらはありえないのです。
まさにそのものがそのものである証拠の部分だからです。

目の赤い鳥を見て「どう見てもメジロだ」と言うのは、桐紋の印籠を持つ老人に向かって、「どう見ても水戸の御老公だ」と言うようなもので、そりゃぁあんた、人生の修行が足りませんよ。
 

人格判断

目の赤い鳥を「どう見てもメジロだ」と言うのは桐の紋の印籠を見て、どう見ても水戸黄門の印籠だと言うくらい的外れなのですが、こういう人は論証のポイントというものを識別する訓練に欠けているため、とにかく自分の思い込みをひたすら強調する語句を選ぶ努力をします。

真理を大げさに語る必要はありません。むしろ、大げさに語るほど真理は霞むものです。