ウグイスと江戸の人々(『梅に鶯』が成句として定着した時代)

ウグイス、メジロに関する人々の知識
江戸時代ウグイスを飼う、あるいは他の小鳥を飼うということが流行していました。
これをペットブームの状態であったとの表現もあります。
 (大江戸飼い鳥草紙 細川博昭 吉川弘文館

鳥屋と言う職業もありウグイスやメジロはもとより、カナリアやインコも見ることができました。特にメジロは数多く飼われていました。大きな鳥かごの中のたくさんのメジロが止まり木に押し合いへし合いしてはみ出される様を見て、目白押しという子供の遊びが生まれました。このことは飼育されたメジロを子供を含む大衆が目撃していたと考えられます。今日でも「目白押し」と言う表現は当時のメジロの飼育の名残として用いられています。飼い鳥としてのウグイスやメジロと接した人々は、野鳥を飼うことができない現代よりずっと身近に鳥を観察していました。
<大江戸飼い鳥草紙>には滝沢馬琴の日記が紹介されていて、その中に次のような一節があります。

うへ木や金次、おく庭東の方、山梔子(くちなし)の枝に鶯の巣これ有、卵五ツこれ有候。・・・・
・・・広小路鳥やにて聞かせ候ところ、鶯に相違無しのよし、これ申す。

植木屋が庭で鶯の巣を見つけ、鳥屋でそれが鶯のものであることを確認した。というものです。

江戸は当時としては大都市だったのですが、現在で言えば、都市から外れた里山のように、あるいはそれ以上に生物層が豊かでした。というのも現在殆んど人工物で埋まってしまった都市と都市の間には、当時手付かずの自然があり、都市の周辺と言えども、舗装道路、自動車、自転車すらなく、無農薬の生き物いっぱいの田畑が取り囲んでいる状態でした。「自然と隣り合わせの江戸のまち」を頭に描くことは江戸の人々の鳥認識を理解するうえで重要と思います。
引用は滝沢馬琴一例だけですが、ちょっと広い庭があるとウグイスが巣を作ることもある。という江戸だったようです。
現在でも小鳥が多く見られる所では個人の庭に野鳥が巣を掛けるというのは珍しくありません。

大江戸花鳥風月名所めぐり 松田道生 平凡社新書
松田氏は花鳥画に造詣が深く、その描写の時代比較から江戸時代のウグイスを考察し次のように述べています。
『(江戸時代の)花鳥画に描かれているウグイスの姿や色も本物そっくり。クイナやシギが本物とかけ離れているのに比べると、ウグイスの描写は正確です。どうも、江戸時代はウグイスを飼うことがたいへん盛んで、籠の中の鳥を見る機会が多かったからだと思われるのです』

鶯色という表現は江戸時代にできた--飼い鳥の文化がもたらした庶民共通の色認識

江戸時代には茶色と灰色が流行しました。江戸時代に出現した色名;鶯(鶯茶)がウグイスの羽の色と一致していた事実も江戸の人々がウグイスの羽の色をよく知っていたことを示しています。江戸時代は鶯色はウグイスの色でした。決してメジロの色ではありません。
(鶯色とは言わずに単に鶯に染めるなどと使いました)
本当の鶯の羽の色(鶯茶)は江戸の女性たちにもてはやされたファッションカラーだったのです。

江戸のファッションカラー 鶯(鶯茶):メジロの色ではありません


古典的バイオテクノロジーで「梅に鶯」を実現した人が現れました
旧暦の正月は現代の正月よりおよそ一ヶ月ほど先でずっと春めいています。梅盆栽を暖めて正月に咲かせることも容易です。
ここにウグイスを鳴かせて[正月+梅+鶯の囀り]のめでたさ三倍、トリプルハッピーを実現する技術が開発されました。
つまり行灯の光を日照代わりにウグイスに当て、長日になると分泌されるホルモンコントロールによって、ウグイスを早くから鳴かせることが可能になり、ウメの盆栽と組み合わせ、究極の「梅に鶯」が実現しました。
本来の「梅に鶯」はそう簡単には実現しない半ば偶然や運が必要でした。
すばらしい組み合わせのたとえ話:「梅に鶯」そのものが実現され、その状態が一瞬ではなく続いている。
これは江戸っ子にインパクトを与えたでしょう(私の想像)
この技術はそれなりの場所、装備が必要で長屋住まいの庶民には手が出せなかったでしょうが、正月にお屋敷でウグイスが鳴けばかなり遠くからでも聞こえ、話題性は十分、うわさは広まるはずです。

川柳に次のような句がありますが、川柳は庶民の目線を代弁していると思われる当時の記録の一つです

『行燈で鳴けば室では笑っている』

人工照明でウグイスを鳴かせ、室(むろ)で梅を咲かせている。と言う意味です(笑う=咲く)
鳴く(泣く)と笑うの対比:言葉遊びが表意ですが、そこまで(自然をねじ曲げて)やるか、という皮肉も込められているように感じます。

ついでながら   『鶯をききながらくう藪のそば』
藪のそばでウグイスを聴くという本来的自然環境を示した句です。
この句の落としは「藪のそば」=藪蕎麦(やぶそば)に掛けたところです。
藪蕎麦は江戸の蕎麦屋の名(現在も存続:江戸時代からそば屋として有名だったようです)
江戸の人々が本来ウグイスさえずりは藪のそばでよく聞かれるという生態を知っていればこそ洒落が分かるのです。

以上、江戸ではウグイスもメジロもよく知られていたと言う裏づけは取れますが、人々がウグイスとメジロを混同したと言う記録は見つかりません。Wikipediaでの混同説も根拠は書かれていません。

ウグイス考