2016年春 トップに戻る
平群の川と橋


平群を流れる川は在原 業平の歌でも有名な 竜田川、
業平の歌には  千早ふる 神代もきかす 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは   とある。しかし、
<からくれなゐに 水くくるとは>と言うほどの場所は平群町流域にはなさそうで、業平はもっと川下の斑鳩町の竜田川をで詠んだようだ。 あるいは、その昔は平群にも紅葉が多かったのかもしれないが、千年以上も前のことなので、その頃の風景は想像するのみである。        (からくれなゐに 水くくる=水を真っ赤に染め上げる)

  嵐ふく 三室の山の もみぢ葉は 竜田の川の 錦なりけり  能因法師
この歌では三室の山とあり、三室山と竜田川が隣接する場所は斑鳩町である。
結局、紅葉で有名な竜田川は斑鳩町の辺りの領域で、その川の上流が平群町をかすめていると言うだけか。
斑鳩町の公式サイトに「斑鳩の里を詠んだ歌」として上記の二首に加えて、
  年毎に もみじ葉流す 竜田川 みなとや 秋の とまりなるらむ 紀貫之
  柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺  正岡子規   など色々載っている。

ところで、業平と能因法師の歌の原表記は
  ちはやふる 神代もきかす 立田川 から紅に 水くゝるとは
  嵐吹 みむろの山の もみちはは 立田の川の にしきなりけり
なので、当時の川名は立田川であった。それが、→ 龍田川 → 竜田川 と読者時代に合わせて?変わる。

平群の竜田川は流域に応じて、生駒川、平群川、とも呼ばれたが、本質的には一つの川である。しかし、かつては、今日言う竜田川と大和川の一部とを合わせて竜田川と言った。あるいは、昔、竜田川と言ったのは大和川のことと証明されている。・・・などと、業平の歌において現在の竜田川を否定するサイトもあるが、そのような結論に至らせた引用文献や参考文献の紹介はない。
例えば、大阪・柏原市HPの「柏原市域の歴史」のページでは
『大和川が渓谷を刻み、竜田越えの古道が通る、市域内、亀の瀬のあたりは、古くから景勝の地だったようで、万葉集や古今集、新古今集などに多数の歌が残されています。亀の瀬あたりの大和川の流れを、かつては「龍田川」(「立田川」「たつた川」)と呼んでいました。万葉集や古今集などの竜田越えや竜田川を題材にした歌は、多くが亀の瀬あたりで詠まれたものだと考えられます』 ・・・・・・・・・・・・などと書かれている。
もちろん、柏原市では<からくれなゐに 水くくるとは> というのは亀の瀬を詠んだことになる。

−−−−−このページでは橋が主役、平群町での竜田川とその支流に架かる橋について語る−−−−−

平群は生駒山系と矢田丘陵に挟まれた谷間に位置し、竜田川が北から南に向かって流れている。
平群町内における竜田川の主な支流は、櫟原川(鳴川)、外川、灰田川、井文字川である。
(いちはら川、と川、はいだ川、いもじ川 と読む)
下記に示す地図(平群の竜田川流域を来たから南へ3枚に分け、支流名および橋名(一部仮称)を記した。
橋名をクリックすると別ページに詳細を示す。
竜田川 
平群町北部流域 (橋名クリックで写真表示)
竜田川
 平群町中部流域 (橋名クリックで写真表示)
竜田川 
平群町南部流域 (橋名クリックで写真表示)